12/26(土)
出走馬がない、ゴルフの予定もない土曜日。
自宅にたまっていた書類の整理や衣服の入れ替え。
早い話が大掃除か。(笑)
昨日のブログに若林四郎相談役の話を書いたところ、何人かの方から「懐かしい名前を見ました。」とコメントやメッセージをいただきました。
このブログをあまりにも色々な方が読んでいることに、驚きと恐怖を感じています。
若林四郎さんは約30年、父の西山正行の片腕として、西山興業株式会社の副社長を勤めました。
大正6年の生まれなので、西山正行より4つ年上になります。
岡山の出身で京都帝国大学(現・京都大学)の出身で、ラグビー部主将。のちに官僚となり戦争中は海軍の偉い人だった、と聞きました。
戦争後、京大ラグビー部のコーチを手伝っていたところを西山正行の奥さん、(つまり西山茂行の母だが)
西山いね子と若林四郎さんの奥さんの愛子さん(姉)が姉妹だったことから、
昭和30年に西山正行が西山興業株式会社を設立した時に会社を手伝ってもらうことになった。
その後約30年、西山正行社長、若林四郎副社長で会社の発展に貢献してくれた。
これは書くべきではないかとも思うが、若林四郎さんの偉大な功績なので書き残します。
昭和30年代、40年代はまだ戦後のどさくさもあり、経済高度成長と相まってかなり危ない時代だった。
当然、銀座のナイトクラブ他、水商売や不動産業では各種トラブルに見舞われた。
そんな時、若林四郎さんの京都帝国大学人脈と海軍の人脈がすごく役に立った。
弁護士などはもちろん、警察官僚、霞が関各省庁に知人、友人がいて、普通ならめんどくさいことが、例えば許可の問題など、若林四郎副社長のおかげでどれだけ便宜を計っていただけたか。
交通関係も、駐車違反や右折違反など軽微な違反は若林四郎さんの電話一本で見逃してもらえた。
今なら絶対にあり得ないことだが、昭和50年代まではそんな時代でした。
西山茂行が昭和56年に成蹊大学を卒業し、色々教えていただいた。
平成になり副社長から相談役へ。
それでも65歳の時に福島のゴルフ場に自ら行き、当時の社員教育を3年に渡りしてくれた。
没してはや10年。
現在の西山興業株式会社繁栄の礎を築いてくれた重要な方である。
ゴルフ場の仕事はしっかりしたが、競馬には一切興味を示さない方でした。
写真は最前列一番右が若林四郎さん。
平成元年春。
西山茂行は後方でピンクのセーターを着て立っていますね。
Source: 西山牧場オーナーの笑気分

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